2018年1月8日月曜日

20180108 岩波書店刊 トーマス・マン著『魔の山』上巻pp.264-268より抜粋引用

岩波書店刊 トーマス・マン著 関泰祐望月市恵 訳『魔の山』上巻pp.264-268より抜粋引用
ISBN-10: 4003243366
ISBN-13: 978-4003243367
『ハンス・カストルプは不思議な、まったく新しい世界をのぞかせてくれるイタリア人の話を、注意ぶかく吟味しながら、奇異な感じを受けながらも影響をあたえられようとして、傾聴した。
セテムブリーニは彼の祖父のことを語った。
ミラノで弁護士をしていたが、なによりも熱烈な愛国者であって、政治的扇動家、雄弁家、雑誌寄稿家ともいうべき人物であった。
祖父も孫のロドヴィコと同じように反抗家であったが、しかし、孫よりも大きい大胆なスケールで反抗したのだった。
孫のロドヴィコは、彼がくやしそうにいったように、国際サナトリウム「ベルクホーフ」の生活をこきおろし、それに嘲笑的な批評をこころみ、うるわしい行動的な人間性の名によってここの生活に抗議をするだけで満足していなくてはならなかったが、祖父は諸国の政府をてこずらせ、そのころ分割された祖国イタリアを無気力な奴隷状態におさえつけていたオーストリアと神聖同盟にたいして陰謀をはかり、イタリア全土に広がっていた秘密結社の熱烈な党員であった。
―セテムブリーニがふいに声をひそめて、いまもそれを口にするのが危険ででもあるように説明してくれたのによると、炭焼党員(Carbonaroであった。
要するに、祖父のジュゼッペ・セテムブリーニは、孫の話から二人の聞き手が受けた印象によると、暗い熱情的な扇動家タイプ、首魁、謀反人らしかった。
従兄弟は礼儀として感心したふりをするようにしたが、警戒的な嫌悪、いや反撥の色を顔からぬぐいきれなかった。
もちろん事情が特異でもあった。
すなわち、従兄弟がきかされた話はむかしの話であって、ほとんど百年もまえの話、すでに歴史に属している話であったが、その歴史、古い歴史のなかから狂信的な自由の精神、暴政にたいする不屈な敵愾心の本質と現象とが、話の形式で、いままで二人が夢にも考えなかったほど身ぢかくせまってきたのであった。
さらに従兄弟は、祖父の扇動的、陰謀的な活動には、祖父が統一と独立とを祈願していた祖国イタリアへの強い愛情が結びついていたこともきかされた。
―いや、祖父の革命家的活動は、この尊敬すべき結合の産物であり発露であって、この扇動性と愛国心との結合は従兄弟のどちらにも奇異に感じられはしたが―二人は祖国愛を保守的な秩序と同一視していたから―、しかし二人は、当時の彼地の一般情勢からは叛逆は市民道徳を、健実な分別は公共団体に対する怠惰な無関心を意味したのだろう、と心のなかでみとめざるをえなかった。

祖父セテムブリーニは、イタリアの愛国者であったのみではなく、自由を渇望するあらゆる民族と国と志を一つにする人物であった。トゥーリンで計画された襲撃、クーデターの企てが失敗したとき、それに言動のどちらからも加担していた祖父は、メッテルニッヒ公の追手から身をもってのがれ、それから亡命の何年間を利用して、スペインでは憲法の制定に、ギリシャではギリシャ民族の自由獲得のためにたたかい、血を流した。
このギリシャでロドヴィコの父親が生まれたのであった。
―そのために父親はあのように偉大な人文主義者、古典古代の愛好者になったのであろう。
なお、父親はドイツ系の婦人の腹から生まれたのであって、祖父はその娘とスイスで結婚し、それからの波瀾に富む生活にいつもつれ歩いていたのであった。
祖父はのちに、十年の亡命生活のあと、ふたたび故国の土をふむことができ、ミラノで弁護士として活動したが、しかし自由の獲得、統一された共和国の建設のために筆と舌、詩と散文とによって国民を鼓舞し、熱情的、独裁者的な名文をもって革命的プログラムを起草し、解放された民族が人類の幸福の確立のために団結することを、流麗な文章で予言をすることを決してやめようとはしなかった。
孫のロドヴィコの話のなかで、ハンス・カストルプ青年にとくに印象をあたえた事項が一つあった。
それは祖父ジュゼッペが一生いつも黒い喪服姿で同国人のまえにあらわれたということであった。
祖父は常から自分をイタリアのために、悲惨と隷属に呻吟する祖国のために、喪に服する者であるといっていた。
ハンス・カストルプはそれをきいて、それまでにも数回くらべてみたように、彼自身の祖父のことを考えずにいられなかった。
ハンス・カストルプの祖父も、孫が知ってからは、いつも黒い服を着ていたが、しかし、それはイタリアの祖父とは全然ちがった意味からであった。ハンス・ローレンツ・カストルプのひととなり、過去の一時代にぞくしているひととなりが、死によって真実のぴったりした姿(スペインふうの皿形の頸かざりをした姿)へおごそかに戻るまでのあいだ、この世に順応するために、自分がこの世にぞくしていないことをほのめかしながらかりに着ていた古風な服装を、ハンス・カストルプは思いうかべた。
この二人の祖父はほんとうに驚くほどちがっている祖父であった!ハンス・カストルプはそれを考えながら、眼をこらし、用心ぶかく頭をふったが、これはジュゼッペ・セテムブリーニに感心する身ぶりともとれたし、怪訝に感じて賛同しかねる身ぶりともとれた。それに彼は、彼と異質的なものを排撃することをつつしみ、単にくらべたり、分類したりするだけにとどめた。
彼は、ハンス・ローレンツ老人のほっそりした顔が、広間で、とどまりながらしかも動いているあの伝来の器、洗礼盤のうす金色の内面をのぞきこんでいた瞑想的な顔つきを思いうかべ、うつろで敬虔な音の「おお」、私たちが爪だちしながらうやうやしくゆれるように足をすすめる聖所を連想させる「おお」という前綴を発音するためにまるめている唇を思いうかべた。
そしてまたハンス・カストルプは、ジュゼッペ・セテムブリーニが三色旗を小わきにして反りのある軍刀を片手、黒い眼を誓うように空へむけながら、自由の戦士のむれの先頭に立ち、専制政治の方陣へ突入するのを見た。
どちらの祖父にもそれぞれ美しいりっぱなところがあった、とハンス・カストルプは、個人的な、もしくは、なかば個人的な理由から、えこひいきを感じそうだったので、いっそう公平であろうとして考えた。
セテムブリーニの祖父は政治上の権利を獲得するためにたたかったのであったが、ハンス・カストルプの祖父、もしくは先祖たちは、もとからすべての権利をにぎっていたのを、賎民たちが四百年のあいだ暴力と弁舌によってうばいとってしまったのであった、とハンス・カストルプは考えがちだったからであった。
・・・そして、二人は、北方の祖父と南方の祖父とは、いつも黒服を着ていたのであるが、どちらの祖父も彼と堕落した同時代のあいだにはっきりと距離をおくための黒服であった。
しかし、一人の祖父は彼の本性の故郷である過去と死のために敬虔な気持から黒服をつけていたのであったし、それに反して、他の祖父は反抗から、およそ敬虔とは正反対の進歩のために黒服をつけていたのであった。
ほんとうにこの二人は、二つの正反対の世界、もしくは方位ともいえる、とハンス・カストルプは考え、セテムブリーニの話に耳を傾けながらいわば二つの世界と方位のあいだに立って、二つをかわるがわる吟味しながらながめていたが、まえにもいつか同じような気持を経験したことがあるように思った。』

0 件のコメント:

コメントを投稿