2017年12月11日月曜日

20171210 既知の知見をブログ記事として書く意味について・・

昨日投稿分記事のような観念的ともいえる内容の文章を書きますと、面白いことに、その直後に歯科材料などといった、あくまでも対象が存在する世界に関する文章を書くことが難しく思われてくるようです。

とはいえ、おそらくこれも単に現在の感覚であり、今後何らかの機会により歯科材料に関する書籍等を読み、あるいは会話などをすることにより、この感覚とはキレイに何処かに去っていくといったものではないかと思われます。

また、そうしますと、今現在とは特に自身を歯科材料向けにする必要もなく、どうにか観念的な内容の文章を書くことが出来ておりますので、このままの自然な流れにしたがい、新たなブログ記事の作成を行います。

とはいえ、ここ最近は我が国の古代史・民俗学、歯科材料、歯科医療そして現今の散文的な内容にてブログ記事を作成し続けましたが、やはりそれら内容・主題により閲覧者数はある程度変化するようであり、具体的には古墳を主題とする記事は、他を主題とするものに比べて多少多かったと云えます。

また、こうして、ある程度多くの方々に記事が読まれていることを実感しますと自然『ウカツなことは書けないな・・』といった感覚が生じてきますが、古墳に関する記事に関しては、最新の知見でないことはあるかもしれませんが、大抵は一般に認め得る知見に基づく文章であったものと考えます。

また歯科材料に関しては『合金について①』が相対的に多く読んで頂けているようですが、これら歯科材料に関する一連の記事内容にある知見とは複数刊行されている歯科理工学の教科書レベルのものであり、表現、言い回しは自身の理解の仕方にしたがい一応オリジナルの文章にて作成したつもりではありますが、特に新たな知見などはないと云えます。

とはいえ、我が国の古代史・民俗学あるいは歯科材料学といったいずれの分野においても、こうした既知のことがらを自身の文章として新たに書いてみるといった行為とは、たしかに厳密な意味においては創造的とは云えないのかもしれませんが、他方、創造的行為に至るための助走あるいは準備運動といったものではあるように思われるのです・・。

おそらく当初から何もこうした助走・準備運動的な行為を伴わないで、創造的な活動・行為をすることが出来る人とは殆どいないのではないかと思われます。

それ故、今後もいずれの分野であれ、こうした既知のことを題材として記事を作成し続けようと考えます。

そして、そうした場合、おそらく1000記事程度まではどうにか書き続けることが出来るのではないかとも思われるのです・・(笑)。

しかし一方、実際にこれまでに作成したブログ記事内において、古今東西これまでに誰もが指摘、言及してこなかったことがらなどは存在するのでしょうか?

もしも、そうしたものが一つでも存在するのであれば、それのみにて一連のブログ記事の価値とは、わずかではあるにしてもあるのではないかと自身は考えています。

また、そうしたものを(あくまでも)狙い続けることが、一見地味ではあれ、また他との外見的な差異は認められないにしても、大事なこと【それこそが創造性】ではあるまいかと思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ今回もまた、ここまで読んで頂きましてどうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに列島各地において生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った諸
地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。

昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。