2017年6月18日日曜日

20170617 其の2 筑摩書房刊 山田風太郎著『昭和前期の青春』pp.171-174より抜粋引用

筑摩書房刊 山田風太郎著『昭和前期の青春』pp.171-174より抜粋引用

ISBN-10: 4480433317
ISBN-13: 978-4480433312
『弱肉強食は生物の減速で、同時に人間の原則だ。形は変わっても、この原則は永遠に変わらない、という強食派に対して、そんな原則をほしいままにさせないのが人類の進歩だ、と弱肉派がいう。
実は私は個人の素質としては弱肉派のほうだから、こちらに拍手を送りたい。
出来ればその陣営の人となりたい。が―例の低音がいう。
少なくとも日本を弱肉の地位に置かないように渾身の努力をはらうのが、子孫に対するいまのわれわれの義務ではあるまいか。―そもそも、資源なく人間のみひしめく日本という国は、何らかのかたちで他を侵略しなければ生存可能因果な国ではないのか。
ある国が攻めて来たら、どうせ叶わないのだから、威厳をもってただちに降伏すればいい、という論があった。
しかし降伏すれば、それで一件落着、万事大団円とは参らない。こんどはその国の敵国から容赦なく攻撃を受けることになるだろう。
だいいち降伏という事態に威厳を持つことなんか出来やしない。勝利者がそんなことは許さないのである。それは言葉のアヤに過ぎない。
そもそも一国をあげて粛々と降伏するには、国民すべて一つの宗教的信念に徹していなかればならないが、いったい日本人がそんなかたちの宗教民族になれるだろうか。
それどころではない、世界にさきがけて不戦の憲法を持つことすら、ニンに過ぎたことではなかったろうか?
いまそれを支持する国民が大半ではないか、という論に対して、それはただ眼先の泰平に酔い痴れているだけの怠け者のねごとに過ぎない、と低い声がいう。
こんな問答は、何か事が起こらなければ決着のつかない、果てしのない水掛論に過ぎない、とは思うが、いやそう水掛論といっても片付けてもいられない、とも考える、事が起こってからではもう遅いのである。
二年や三年で一応訓練出来る刀と鉄砲だけの戦争の時代ではないのである。
また、突如発作的に大々的軍備に踏み切れば、それこそそのこと自体が事を起こすもととなる。
やるなら、むしろ無用時に、ある水準までの備えをしておかなければならないのではないか、とも考える。
これはとうてい戦中派とか戦後思想とかの次元で論じられる問題ではない。
くり返すが、日本民族はこれから何千年も何万年も生存してゆかなければならないのである。
その間、すべてのことにおいて、ほかの民族に、せめて出来るだけピッタリくっついてゆくことがそのための条件ではあるまいか。
ひとり、あんまり変わった方法で生きながらえゆこうというのは、虫がよ過ぎ、ウヌボレ過ぎ、夢想が過ぎ、はては「非合理」なのではあるまいか。
しかし、しかし、しかし。―
実際問題として、本格的再軍備というのは至難でしょうなあ。私はいまの日本人の男性でさえ再軍備賛成論者は50%に満たないと見ている。
女性のほとんどすべては反対論だろう。その理由のきわめて大きな部分は、現在の酔夢をさましたくないという願望であるにしろ、何といっても軍備らしい軍備なくして過ごして来た「日本の黄金時代」の記憶は決定的である、そしてまたそういう国民から生まれた軍隊が、たとえ何兆円の金をかけようと物の役には立つとは思われない。
「戦中派」の正確な定義はよく知らないが、私はあの戦争中、学校でいえば中学生から大学生までの年齢期にあった人間だと解釈している。
その年齢だから、ある意味でいえば、戦中派は戦争をひき起こした責任はない。
その戦中派も今や老いつつあるが、彼らは戦争に対してではなく、戦後自分たちの子供の教育に過ちを犯したのではなかろうか、と疑うことがある。彼らは戦中の苦難を子供に語る。しかし考えてみれば右の理由で、その苦難はみずから求めたものではなく、いつのまにか落とされた運命であって、自慢出来る苦労話ではない。それがわかっているから、実は、いうことに自信がない。子供は親のうしろ姿を見て育つ。子供は戦中派のうしろ姿を見て、あまり感心しないのである。
私にしてすら、事実はこの未曾有の泰平の日々を、安逸の中に沈んでいるのである。
庭に野鳥が来る。はじめ残飯パンのたぐいを与えていたが、次第に鳥の数がふえ、餌をアテにしてやまないので、いつしか新しい米やパン粉を盛大にまいてやるようになった。
それで庭に大きくバカという字を書くと、鳥がバカの字なりにならんで食べている。
それを二階の書斎から双眼鏡で見て、終日暮らしていることもあるのである。
ただ、そんなとき、あのガダルカナルの戦いの日本兵に、この米、このパン粉をやっていたら、あるいはーなど、ふっと頭に浮かばせながら。
「不戦日記」はすでに遠くなりにけり、か、いまだ遠くはなりゆかず、か。―』

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