2017年6月11日日曜日

20170610 SNSとブログ記事を連動させて思ったこと・・直観・直覚・・帰納?

昨日、試験的にいくつかの当ブログの記事をSNSと連動させてみたところ、明らかな閲覧者数の増加を示しましました・・。

とはいえ、これはこれで自身にとってはプレッシャーとなると考えたことから、毎回の投稿記事を連動させることは、とりあえず控えておきます・・

今後、それに慣れてきた場合、徐々に移行して行けばそれで良いものと考えます。

また、このブログ記事とSNSとの連動に伴い、昨日投稿のブログ記事にて書いた、ここ最近、随分以前に投稿した記事がぽつぽつと読まれている状態がさらに加速、励起されたようであり、冒頭に述べた閲覧者数の増加とは、概ねそのような記事(随分以前に投稿した記事)の閲覧によるものであるのです・・。

さらに加えて面白いことは、それら読まれている記事とは、必ずしも昨日SNSにて連動させた過去の記事ではないということです・・(笑)。

こうなりますと、自身でも、よくその事情、作用機序が分からなくなるところではあるのですが、不思議なことに、その一方で、読まれていた記事と昨日の投稿記事との関連について考えてみますと、どうも私の個人的なこと、いや少なくとも一連のブログ記事や以前SNSにて書いた意外のことを知っているのではないかと考えさせられるのです・・。

とはいえ、このように考えるに至った経緯とは、残念ながら現在の私の文章表現力、言語能力にて端的、簡潔に説明することが困難であり、同時に、その感知されたことは、それを今現在ブログ記事主題として書いている自身のいわば創造の源泉ともいえることから、そう簡単に解明、明瞭化されてしまっては面白くないのです・・(笑)。

こうしたこともまた、以前のブログ記事において書いた学問における論証過程の重要さと通底する何かがあるのではないかと思われますが、如何でしょうか・・(笑)?

さらに、ここまで書いておりますと、我が国の多くの地域でその伝説がある妖怪『座敷わらし』とは、案外こうした考えが具体的な日常生活において発露されたものではないかとも思われるのです・・。

また、これはある程度一般化され得ることであると思われますが、さまざまなことを調べておりますと或る時点で『コトバにはならないけれども分かった』と感じる時があります。

これは直観、直覚といったものの為せるワザとのことですが、その後さらに倦むことなく調べ、究め続けておりますと、徐々にその感覚が言語化されてきます。

そして、この一連の経緯こそが意識下にて行われていた論証過程が徐々に意識上に顕現してくるといった現象ではないかと考えます・・。

こうしたことを思い至るに及んで、現在私は既に若くはない年齢には達しましたが、未だ時において直観、直覚といったものが働いたことに、多少安堵するのです・・。

いや、あるいはこうした直観、直覚とは、若いうちよりも、ある程度の年齢に達してからの方がよく働くものであるのでしょうか・・?

このことをもう少し考えてみますと、おそらく直観、直覚とは、それがある程度『確からしい』と自覚されるものであれば、それは主体が積んだ経験、学識などもまた同様にある程度の『量』に達していると思われます。

何故ならば、それは参照し得る経験、知識が多いということになりますので(確からしさとは、そのような土台の上に立つ)。

さて、そうした土台、前提の上で、何かの契機、きっかけによって直観、直覚を得るとは、いわば無意識に行われている内面での経験、知識の参照作業に何らかの刺激が加わることによって直観、直覚が発露されるということになると考えられます・・。

そして、それは考え方のモデルでいいますと、帰納法による推論に近いのではないかと思われますが如何でしょうか・・?

しかしそうなりますと、そこで問題になるのは、では内面にて行われている経験、知識の参照作業を行っている『力』とは一体何であろうか?ということになると思われます。

また、この『力』とは、おそらく勉強、学ぶ『力』ともある程度関連はあると思われる一方、単純に比例、随伴するものでもないのではないかとも思われるのです・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

年、熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」













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