2016年11月14日月曜日

20160804 登山(開聞岳)とブログ作成・・具象から抽象へ・・

本日は若干帰宅が遅くなりました。

そしてまた現在、本日分のブログ記事作成を幾分面倒に思っております・・(笑)。

それでもとりあえず何かしら書いてみようと思い立ち、ここに記しはじめました・・(苦笑)。

書籍は相変わらず色々と読んでおりますが、どうもこの季節、夏とは、以前にも記した通り、あまり込み入った思想系の著作および小説などを読むのには適していないようです・・(苦笑)。

まあ、これもまた慣れではあるのかもしれませんが・・。

そのように考えてみますと、我々が興味を持つ対象の推移とは、一般的に、おそらく先ずはじめに実体が存在するモノに対する興味にはじまり、次にそれを用いる人間の動態、つまり歴史的なものに推移し、その次にその歴史の背景に存在すると認識される大きな思考の流れ、つまり思想的なものに推移してゆくのではないかと思われますが如何でしょうか・・?

また、これを異言すると、具体的な対象への興味にはじまり、徐々に抽象的な対象への興味へと推移してゆくということであるといえます。

おそらく、こうしたことは、大きく見ますと年齢の上昇に伴う現象であると思われますが、同時に、さらにその内側においても、同じような現象(具体的な対象から抽象的な対象への興味の推移)が、より小さな規模においてもまた、生じているのではないかと思われます・・。

例えるならば、円錐状の山の周囲を周りながら徐々に登ってゆくような感じではないかと思われます。

一周分上に登ったならば、前(下)の一周における同じ位置にて同じような景色が山の外側に見えるものの、それと同時に高度が一周分異なるため、そこからの視野とは前(下)の一周におけるそれとは若干異なる。

そして、そうしたことを山の周囲を周り登ることにより、繰り返してゆくと、いつのまにか、高度の上昇により周囲の植生も異なり、また山の外側の景色も雲を介在させるようになり、随分と異なった様相を示すようになってくる・・。

といった感じではないでしょうか・・(笑)。

そして、こうした感覚を具体的に得られる山が開聞岳(薩摩富士)であったのではないかと記憶しております。

鹿児島在住時、開聞岳は幾度か師匠等と登りましたが、山頂からの眺めは素晴らしく、晴れた日には、はるか南の方角に屋久島および宮之浦岳が望め、北方にはほぼ直下に巨大ウナギあるいはイッシーで有名な池田湖、遠くには桜島、霧島連山などがのぞめます。

また、その登山道は概ね(頂上付近まで)樹林で覆われており、そのため登山中なかなか山の外側の景色が望めませんでしたが、時折視界が開け、外側の景色を見て「ああ、このくらい登ったのだな・・。」と実感することができるのも、これはこれで面白く、味のある登山道の一つでした・・。

さて、そのようなことを記していると不図「期せずして、これは私の作成し続けているブログ記事のことを寓言でもって語っているのではなかろうか?」と思うに至りましたが、果たしてこれは偶然なのでしょうか(笑)?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に発生した熊本での大地震によって被災された地域における出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。」






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