2016年7月31日日曜日

20160731 創造性、意識などについて・・

おかげさまで昨日のブログ閲覧者数も1000人に到達し7月の総閲覧者数もはじめて20000人に到達しました。
どうもありがとうございます。

また、その時々にて読まれている記事の傾向を見ると勉強になることが多く、同時に「今後どのような記事を作成したら面白いだろうか?」といった指針にもなります・・。

とはいいながら、これまでにそれを活かして記事を書いているとは必ずしも言い切れませんが・・(苦笑)。

しかし、それらを見て、無意識のうちに吸収している部分もまた、少なからずあるのではないかとも思います。

また、意識、無意識といえば、現代を生きる我々は、意識をより励起、明瞭化する様々な周辺機器の進化発展により、より(外部の)コトバに捉われ、その精神、心が硬直化してしまい、本来持っていたしなやかさ(?)が失われつつあるのではないかと思われますが如何でしょうか?

あるいはこういうことを「感情の劣化」というのかしれません・・。しかし一方、現在私がこのようにブログ記事を作成、投稿し、それを読んで頂いている方々がいるという状況もまた、さきに述べた様々な周辺機器の進化発展によって支えられています。

・・こうしたことから多少のジレンマも感じないこともありません・・(苦笑)。

しかし、そこで問題となってくることが「では、そこには創造性があるのか?ということではないでしょうか?

この文脈は一見唐突であると思われる方々がいらっしゃるかもしれませんが、意識を励起、明瞭化する周辺機器を使用することによって創造的なコトが為されていれば、それはあくまでも周辺機器を運用、活用していることとなり、それらに「支配されていない」ということになるのですが、一方、そうした機器の利便性のみを上澄み的に利用しているのであれば、それは時間の経過に伴い、機器に(思考、思想を)支配されるようになり、結果的に創造性をも次第に失ってしまうのではないかと思われます・・。

また、こうしたこと(創造性の有無)の峻別、認識とは、自身の内心(ここが大事であると思います。)により為される思います。

とはいえ、こうしたテーマとは、かねてより言い古されてきたことではありますが、昨今の我が国においては機器の進化発展ばかりのみ注視されている感がありますので、時にはこうした意見を記しておくこともまた、悪くないものと考えます(笑)。

また、これまでブログ記事を作成、投稿し続けている者が考える、より卑近な意味での【創造性】とは「とりあえず、これまでに書物に書かれたことのない、またネット検索しても検索されない、ある程度内容のある文章を作成すること。となります・・(笑)。

そういえばハナシは変わりますが、特に男性において、人をいじる能力(いじめっこになれる能力)により組織における序列が決まる組織、社会とは、幼児、青年期程度までは健全と評されても良いのかもしれませんが、それがそのまま大人の社会にまで延長されると、それは持続可能性、発展持続性に乏しく、速やかな衰亡に至ることが多いのではないかと思われます・・。

そして、何よりもこうしたことを何かしらの理系学問、実験等を通じ、より多くの『女性』が真剣に考えるようになると、彼女等のそして後には彼女等の子供達の社会に対する見方、認識も変化が生じ、それに伴い社会が(多少は)良くなってゆくのではないかとも思われますが、さて如何でしょうか?

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

またさる四月の熊本での大地震にて被災された地域における早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」







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