2016年6月25日土曜日

20160624 東京での流行から考えてみたこと・・

本日も帰宅が若干遅くなり、日を越えてからの記事作成、投稿となります。

さて、ブログ記事の方は335記事を超え、あと30記事程度で365記事に到達します。

また一連の記事で最も古い記事の日付を見てみますと昨年の6月20日頃でしたので、丁度1年間で330記事作成したことにありますので、まあ10日のうち9日は記事を作成し、投稿してきたということになります・・。

また、以前も数度記しましたが、このブログとは、当初あまり多くの閲覧者を企図したものではありませんでした。

しかし、その割には、閲覧者数も伸び、またそこから、ブログ記事の更新も現在まで継続して為されたのではないかと思います。

これも読んでくださっている皆様のお蔭であり、今後、投稿した記事が365あるいは閲覧者数が10万人を越えても、できるだけペースを落とさずに記事を作成、投稿し続けようと考えております。

さて、ハナシは変わりますが、ここ最近、電車の中あるいは町のなかで、男女を問わず(しかし女性の方が多い)、特に若い世代にてジャケットやカーディガンの袖を通さずマントのように羽織っている格好が多く見受けられます。

この格好とは、おそらくここ1カ月程度で急激に首都圏にて増加してきたように思います。
そして、その原因、根源とは、おそらく雑誌か何かではないかと思われます。

また、他の地方都市などにおいても同じような格好とは、現在多く見られますでしょうか?
さらに、こうした格好、ファッションの火付け役の方々とは「一体どのような意図をもってそのような発信をするのであろうか?」と少し疑問、不思議に思いました・・。

ともあれ、地方都市に関しては観察していないのでわかりませんが、こうした格好、ファッションなどが急速に浸透する都市、社会とは、他の要素については一体、どのような傾向、特徴を持つことになるのでしょうか・・?

また、このことをもう少し考えてみますと、こうした流行ものとは、各々要素において「取り入れ易さ」といったものがあり「恰好、ファッション」といったものは、どちらかというと「取り入れ易い」ものであり、それに対し、概念、思想などといった抽象的なものとは、なかなかその元のまま(オリジナル)の状態にて他の地域が取り入れることが難しいのではないかと思われます・・。

そして、さらにこのことを考えてみますと、欧米を中心とした海外にて、我が国の特徴、傾向として述べられている、外部文化の取り入れ、物真似の巧みさ、および、その改変、時には改善の能力とは、さきに述べた流行現象の内部においても類似した要素により形成、作動しているのではないかとも考えさせられます・・。

さらに小説のテーマ、主題などで考えてみますと、それは、太平洋戦争での実体験に基づいた大岡昇平著の「俘虜記」そして江戸時代初期のキリスト教弾圧期を舞台とした遠藤周作著の「沈黙」などが挙げられ、また、さらに小説ではありませんが、海外において我が国の歴史、社会の研究において多く用いられているのが丸山眞男の一連の著作であることは、特に現在の我が国においては、なかなか重要なことなのではないかと考えますが如何でしょうか?

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

また、九州、熊本で被災された地域の今後の早急な諸インフラの復旧そして復興を祈念しております。








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