2016年3月27日日曜日

20160327 学問に対しての能動性と社会の存立について

本来、学問や研究といったものは、好きであるから行うものであり、その基本的な態度においては自発性、能動性が強く要求されるのではないかと思います。

しかし、ある専門的な職業に就くことを目的とした学部、学科の勉強においては、この限りでなく、多くの情報、体系的な知識を効率よく吸収することが要求されます。

こうした態度とは、吸収するための勉強を自発的、能動的に行おうと、基本的な態度とは、その専門的な職業に就くことを目的とした、ある意味受動的なものではないかと思います。

しかし、そうであるからといって私はこれらの専門的な職業に就くことを目的とする学部、学科に対し悪感情は全く持っておりません。

むしろ、反対にそうしたことが出来る能力、才能に対して単純なる敬意を持ちます。

その点、私は、自身の自発性、能動性を持ち得る分野に対してのみ、四苦八苦して、どうにかそうした情報、体系的知識を吸収することができる人間であると認識しております。

とはいえ、伝統的に我が国の社会全般において有用とされるのは、個人の自発性、能動性にかかわらず、より多くの情報、知識を効率的に吸収できる人材の方ではないかと思います。

そして人工知能が進化しつつある現在の状況において、我々人間とは、より各々個人の自発性、能動性に根付いた感性、知性の発展に重点を置いても良いのではないかと思います。

何故なら、そちらの方が持続的発展の可能性があるのではないかと思うからです。

そして、その意味において理系学問分野の教育に重点を置くことは大変素晴らしいことであると思います。

しかし、その一方において、安定した政権、企業などの組織運営を阻害する可能性があるという理由から、古来よりの文系学問分野全般を蔑ろにすることは、長い目で考えてみますと、かなり危険なことなのではないかと思いますが如何でしょうか?




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