2016年1月2日土曜日

20160102

A「最近わかったのですが私のブログの閲覧者はマックユーザーの比率が高いようです。
今まで知らなかったのですが、全体的なシェアではウィンドウズの方が圧倒的主流派のはずなのですが、私のブログではウィンドウズ、マックの双方45%程度なのです。
これはなかなか面白い現象であると思いました・・。」

B「ふーん、私はウィンドウズユーザーですがそれはなかなか面白いですね・・。
Aさんのブログはマックユーザーに受ける何かがあるのでしょうかね?
それと、ブログの閲覧者地域はやはり日本が多いのですか?」

A「マックユーザーの特徴などはこれまでに調べたことはありませんが、もしかしたら私のブログにそこに受ける何かがあるのでしょうかね・・・?
それでも、今後それを調べて対策を施し閲覧者を増やそうとは思いませんが()
あと、閲覧地域も面白いことに日本とアメリカ双方共に45%程度であり、残り10%が主に西欧各国となっております。」

B「はあ、アメリカからの閲覧者がなかなか多いようですね・・。
しかしAさんのブログはアメリカの方から見て面白い何かがあるのでしょうかね?」

A「いえ、そこらへんもよくわかりません(苦笑)。
しかし、ブログの内容はアメリカあるいは他の国に対して、そこまで失礼なことも書いていないと思いますし、また、対話で挙げた史実はあくまでも史実ですから、それはとくに非難の対象となることもないと思います。」

B「・・まあ、私も君のブログを読んでみて他国に対し感情的な中傷の要素は見受けられないので多分大丈夫であるとは思うけれども、一方、ああいったものは誰が見ているかわからないので、気をつけるのに越したことはないと思いますが・・。」

A「ええ、それは一応私なりに気を付けていますが、ともあれ御心配痛み入ります。
また、そういった懸念も若干あったことから、一応フィクションの対話形式を用いてブログを作成しているのです。
これは当初あまり深く考えずにそのようにしたのですが、今考えてみますと、そのおかげで今のところ特にネタが本格的に行き詰まることもなくブログを続けられているのかもしれません・・。」

B「うん、ブログを書いている本人の実名、顔写真は出しているけれども、その書いている内容の登場人物に関しては明確にブログ作成者本人としていないところは緊張感を持ちながらも遊びの部分を残しているという意味で悪くない手法であると思いますよ。
ただ、自身の顔写真出してブログ書いていることは、私からすれば、なかなか勇気があるというか大胆なような気がするのですが・・。」

A「ええ、作成したブログに関しては私が書いたものであることを示しておいた方が良いのではないかと思います。
・・匿名になりますと、やはり気が緩み、ウカツな発言をしてしまう可能性が高くなると思いますし・・(苦笑)
ですから、何といいますか、そういった緊張感、遊びの双方を生む距離感みたいなものは意外と重要ではないかと思います。
また、そうした距離感とは、理系の論文、文章などにおいては、書いている内容が科学的事実であり、再現可能性があることが最も重要ですので、あまり第一義的に考慮されることはないと思います。
一方において、文系の特に国際関係、思想、歴史などといった解釈が分かれ、且つそこから好悪の感情が惹起されるようなネタを扱う場合、そういった距離感みたいなものが重要になるのではないかと思います。」

B「なるほどねえ・・。
それはたしかに文系の著作においては大切な要素ですね。
しかし、私からいわせれば、以前君のブログにも書いてあったけれども、理系の男性的、漢文的、断言的な文章上のあの言い回しに多少憧れみたいなものを持ってしまいますね・・()
時折私もそうしたノリで文章を練ることがありますけれども、どうもイマイチなりきることができないですね・・(苦笑)。」

A「・・はあ、たしかにそうですね・・。
そしてまた理系文章のあの独特な言い回しとは、距離感が最初から最後まで基本的に一定、統一されていることもまた一つの特徴ではないかと思います。
その点、文系文章の言い回しとは、一文章、論文の中にも緩急つまり距離感が微妙に変化していることが多いのではないかと思います。
そして、こうしたこともまた、各々学問分野の相異によって生じるのではないかと思います。
また、それに加えて多くの理系学問分野では一般的に修士課程で英論文をある程度読込むような環境に置かれます。
そして、そうした環境を経ることにより、作成する日本語の文章に対し何らかの影響が与えられるのではないかと思います。
そういったこともまた、さきほどの双方学問分野における文章上の言い回しの違い、つまり文体の相異に結び付くのではないかと思います・・。
その意味において、学問分野の相異に加え、そこでの言語環境もまた同様に重要なのでしょう。」

B「ははあ、なるほどねえ・・。
たしかにいわれてみると当り前なのだけれど、そうすると民俗学と工学系の修士課程では、その研究する対象、方法などが随分違うのだろうねえ・・。」

A「ええ、そうなのです。
同じ修士課程という名前があてがわれてはいますが、それは陸上競技場とプールで同じ100m進むのと同じ程度に異なるのではないかと思います()
しかしながら同時に大事なことは、各々研究間に本質的に貴賎上下はないということなのですが・・。」

B「うーん、現実社会での扱いはちょっと違うような気がしますが、そうした考えは今の御時勢だからこそ大事なのではないかと思います。
若干我田引水、牽強付会の気味があるけれども・・(笑)。」

A「ええ、そうですね(苦笑)。
しかし、そうした現実社会における状況とは、西洋的な科学技術を基盤とする近代社会の後発国特有の現象なのでしょう・・。
そして今後もそうした状況とは、我が国では大きく改善されることはないと思いますね・・(苦笑)

B「・・文化ありきの科学技術であるのか、あるいは科学技術ありきの文化であるのかを決めるのは、文化に基づく社会であるのか、あるいは科学技術に基づく社会であるのかといったことは、なかなか難しいことであると思います・・。」

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