2015年10月10日土曜日

「小林秀雄対話集」講談社刊pp.334-338より抜粋

小林秀雄(小林)
田中美知太郎(田中)

田中 
ただ日本の文章とか、古典というものを考える場合にも、明治以降、ヨーロッパの圧倒的な影響があるだけに複雑になってきていますね。

小林
ええ、そうですね。今から過ぎさったことを振り返って逆に考えますと、日本の文明、文化というものは複雑なんですね。大昔から外国のものにやられ通しなのですからね。
何か病的なものがないとおさまらないほど複雑なものでしてね。ぼくらが経験したことだってなにも考えてやったことじゃないんです。もう少し健康な精神的楽しみ方があるはずなんですが、どうしても病的なことになる。要するに精神のエネルギーの捌け口を求めているわけで、詩といえばまずフランスの詩がおもしろくなるといった妙な姿をとるわけですね。

田中
文学の場合、近代化のモデルはやはりフランス文学ですか。

小林 
そうですね。それも偶然なんですね。
偶然の出会いにいやでも対応しなければならぬ。
ぼくは不案内ですが、日本にドイツの哲学が入ってきたのも偶然ではないですか。
そこに外国人にはなかなか察しのつかない苦しみが日本のインテリにはあるんですね。
アメリカのような国の人々にはちょっと理解できない苦しみでしょうね。
そうした悩みや苦しみは長いし、今後もずっと続くんではありませんか。
「哲学」という言葉を西周がつくったということをきいて西周を読んでみたんですが、はじめは希哲学といったんですね。どうして希がとれたのかな。

田中
最初は、希哲学とか希賢学といったんですね。
士は賢ならんこと、哲ならんことを希う、という意味で使ったんでしょうね。希賢学の方は、儒学の連想で感覚が古いために捨てられたんでしょうね。
どうして希がとれてしまったのか、後になると西周自身も哲学という言葉を使っていますね。
西周の訳語で、いま残っているのがずいぶんありますね。先天・後天、習性・悟性、といった言葉、西周という人はえらいですね。
とにかく産業近代化の必要に応じて幕府からヨーロッパに派遣されたんですが、そのため実学を修めながら哲学に興味をもったわけですからね。

小林
ぼくが西周で面白かったのは、西周の目を開いたのが荻生徂徠だったという点ですね。
徂徠などは当時異端の学だったわけで、西周も、病気をしたときに、はじめて寝転びながら読んだわけですね。
正統の学なら端坐して読まなければならない。
たまたま読みはじめて、驚いてしまうわけですね。そこで開眼するわけです。そこからソクラテスを識るわけですね。

田中
「ソコラテスといえる賢人ありて」と書いていますね。

小林
教養の伝統というものは、ふとした機会に生きかえるのですね。漢文という素養があるから翻訳もいいんです。

田中
「聖書」なんかも昔の訳の方がいいですね。


文明の原理について

小林
ああいうものはあまり改良がきかないことがわかりますね。
自然と壊れていくことはいいのだけれども、その自然とこわれて変化してゆく中に何かの摂理があると思うんですね。
命が永らえるようなものでね。
人間の成長でもひじょうに緩慢なんだ。
だから命が保てるわけで、 文明というものはそういうものじゃないかな。人為的な改良とか革命とかでは死んでしまうものがあるんだな。れは私たちが生きているものに深くつながっているものじゃないかな。それはショックを受けると滅びてしまってなかなか回復できない。歴史の流れの中にはそういうものがあるんじゃないかな。

田中
古いものをすべてやめて新しいものに代えるとすれば進化はないですね。
人間の一生の経験なんかは限られていますから、それまでの蓄積の上に立たなければ、むだな努力ですね。
トインビーシュペングラーの説だと、文明の成熟が止まって新しい芽が出なければ、文明は老衰してゆくということになるのでしょうが。

ギリシャの場合を考えると、ギリシャ文明はいまでも生きていますけれども、それを荷った民族は滅びてしまったようなものかもしれない。
ギリシャ自体の歴史を考えてみても、新しいものを生み出した時期と創造性を失った時期があるわけですね。
内乱や戦争によって政治的な条件がちがってくることが原因でしょうが、ギリシャ都市の自由があったときはやはり創造性があったわけですね。
当時でいえば世界戦争だったプロポネソス戦争アテネは大いにいためつけられ、その後またある程度回復するわけですが、その世界戦争がプラトンの青年時代で、次の世紀がプラトンアリストテレスの全盛時代です。
その世紀の終わりにはギリシャ都市の自由が終焉し、アレキサンドリアに中心が移って、ユークリッドアルキメデスといった科学や文献学の黄金時代ですね。
シュペングラーの説だと科学や文献学は末期的現象だということになるらしい。
ギリシャが完全に駄目になるのは、ローマは地中海を征服する時代ですね。
ローマはギリシャの弟子だけれどもオリジナリティはない。
政治的に古代世界全体を支配するけれども、その政治も共和制が帝政に代わると段々にたいへんな暗黒時代になる。
ローマの皇帝はたえず入れかわり、ロクな死に方はしていない。
ギリシャ文明の評価と古代世界の没落ということはたいへんなテーマで、トインビーなんかもそれをモデルに文明の没落を考えているわけですね。
が、政治史としていちばんおもしろいのはやはりローマの歴史でしょうね。
ぼくの昔の夢では老年になってからローマ史を書いてみたいと思った。
いまはとても自分の力でローマ史の史料をたくさん読む気力はないけれども、あれをほんとうに書いたら一種の政治教科書が書けると思いますね。
プルターク「英雄伝」とかいったものも一つの政治勉強のテキストとして使われるようですが。

小林
ぼくは病気をしたときにプルタークの「英雄伝」をみんな読んだんです。
退屈だけれどお能を見ているようなものでね。
退屈していなければわからないものがありますね。
文章を読んでいてパッといいところがある。やはり退屈というものはむだじゃないですね。

田中
プルタークは歴史家としてはむしろ凡庸でしょうかね。
歴史家としてはツキジデスが一級です。
たいへん読みづらい、クセのある文章ですけれど、がまんして読み通すとえらいことがわかりますね。
政治を理解するには政治的識見、政治的なセンスが自分にも必要ですけれど、ツキジデスは、当時の教養をもったインテリでしょうが、しかし、政治家として実際、政治にたずさわり追放されたりしたわけですから、それだけにセンスもあったわけですね。
カエサルメモワールガリア戦記」がいいのも、カエサルがやはり一種の教養を持っていて、よく人間を洞察することができたからでしょうね。

(「中央公論」昭和三十九年六月)

小林秀雄対話集 (講談社文芸文庫)

ISBN-10: 4061984160
ISBN-13: 978-4061984165



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