2015年8月11日火曜日

ヴィクトール・E・フランクル著 「夜と霧」 みすず書房刊 pp.125-129より抜粋


スピノザは「エチカ」のなかでこう言っていなかっただろうか。

「苦悩という情動は、それについて表象したとたん、苦悩であることをやめる」

(「エチカ」第五部「知性の能力あるいは人間の自由について」定理三)

しかし未来を、自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所内で破綻した。そういう人は未来とともに精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだ。

通常、こうしたことはなんの前触れもなく「発症」した。


そのあらわれ方を、わりと古株の被収容者はよく知っていた。わたしたちはみな、発症の最初の徴候を恐れた。それも、自分自身よりも、仲間にあらわれるのを恐れた。なぜなら、もしも自分にそれがあらわれたら、もう恐れる理由もなくなるからだ。


ふつう、それはこのように始まった。ある日、居住棟で、被収容者が横たわったまま動こうとしなくなる。着替える事も、洗面に行く事も、点呼場に出る事もしない。

どう動きかけても効果はない。彼はもう何も恐れない。


頼んでも、脅しても、叩いても、全ては徒労だ。


ただもう横たわったきり、ぴくりとも動かない。


この「発症」を引き起こしたのが何らかの病気である場合は、彼は診察棟につれて行かれることや処置されることを拒否する。彼は自分を放棄したのだ。自らの糞尿にまみれて横たわったまま、もう何もその心を煩わすことはない。



一方の死に至る自己放棄と破綻、そしてもう一方の未来の喪失が、どれほど本質的につながっているかを劇的に示す事件が、わたしの目の前で起こった。わたしがいた棟の班長は外国人で、かつては著名な作曲家兼台本作家だったが、ある日わたしにこんなことを打ち明けた。「先生、話があるんです。最近おかしな夢をみましてね。声がして、こう言うんですよ。なんでも願いがあれば願いなさい、知りたいことがあるなら、なんでも答えるって。わたしがなんとたずねたと思います?わたしにとって戦いはいつ終わるか知りたい、と言ったんです。先生「わたしにとって」というのはどういう意味かわかりますか。つまり、わたしが知りたかったのは、いつ収容所を解放されるか、つまりこの苦しみはいつ終わるかってことなんです。」

 わたしはいつその夢を見たんですか、とたずねた。

19452月」と、彼は答えた(そのときは3月の初めだった。)

それで、夢の中の声はなんて言ったんですか、と私はたたみかけた。相手は意味ありげにささやいた。

330日・・」

このFという名の仲間は、私に夢の話をしたとき、まだ充分に希望を持ち、夢が正夢だと信じていた。ところが、夢のお告げの日が近づくのに、収容所に入ってくる軍事情報によると、戦況が3月中に私たちを解放する見込みはどんどん薄れていった。すると、329日、Fは突然高熱を発して倒れた。そして330日、戦いと苦しみが「彼にとって」終わるであろうとお告げがいった日に、Fは重篤な譫妄状態におちいり、意識を失った・・331日、Fは死んだ。死因は発疹チフスだった。


勇気と希望、あるいはその喪失といった情調と、肉体の免疫性の状態のあいだに、どのような関係がひそんでいるのかを知る者は、希望と勇気を一瞬にして失うことがそれほど致命的かということも熟知している。

仲間Fは、待ちに待った解放の時が訪れなかったことにひどく落胆し、すでに潜伏していた発疹チフスに対する抵抗力が急速に低下したあげくに命を落としたのだ。未来を信じる気持ちや未来に向けられた意思は萎え、そのため、身体は病に屈した。そして結局、夢のお告げどおりになったのだ。


この一例の観察とそこから引き出される結論は、私たちの強制収容所の医長が折りに触れて言っていたことと符号する。

医長によると、この収容所は1944年のクリスマスと1945の新年の間の週に、かつてないほど大量の死者を出したのだ。これは、医長の見解によると、過酷さを増した労働条件からも、悪化した食糧事情からも、季候の変化からも、あるいは新たにひろまった伝染性の疾患からも説明がつかない、むしろこの大量死の原因は、多くの被収容者が、クリスマスには家に帰れるという、ありきたりの素朴な希望にすがっていたことに求められる、というのだ。クリスマスの季節が近づいても、収容所の新聞はいっこうに元気の出るような記事は載せないので、被収容者たちは一般的な落胆と失望にうちひしがれたのであり、それが抵抗力におよぼす危険な作用が、この時期の大量死となってあらわれたのだ。



すでに述べたように、強制収容所の人間を精神的に奮い立せるには、まず未来に目的を持たせなければならなかった。被収容者を対象とした心理療法や精神衛生の治療の試みがしたがうべきは、ニーチェの的を射た格言だろう。


「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える。」


したがって被収容者には、彼等が生きる「なぜ」を、生きる目的を、ことあるごとに意識させ、現在のありようの悲惨な「どのように」に、つまり収容所生活のおぞましさに精神的に耐え、抵抗できるようにしてやらねばならない。

ひるがえって、生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていても何もならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともにがんばり抜く意識も見失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人々はよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼等が口にするのはきまってこんな言葉だ。「生きていることにもうなんにも期待がもてない」こんな言葉に対して、いったいどう応えたらいいのだろう。

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