2015年7月14日火曜日

ウィンストン・チャーチルの戦争についての記述 (これは現代日本にとって興味深い記述であると思います。)

『戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレクサンダーやシーザーやナポレオンが軍隊を勝利に導き、兵士たちと危険を分かち合いながら馬で戦場をかけめぐり、緊張したわずか数時間の中で彼等の決断と行動が帝国の運命を決するというようなことは、もうなくなったのだ。これからは彼等は政府省庁のような安全で静かでものうい事務室に書記官たちに取り囲まれてすわり、一方何千という兵士たちが電話一本で機械の力で殺され息の根を止められるのだ。我々は既に最後の偉大なる総指揮官たちを見てしまった。おそらく彼等は国際的な大決戦が始まる前に絶滅してしまったのだろう。そして勝利の女神は、その様な殺戮を大規模な形で組織した勤勉な英雄と不本意な結婚をすることだろう。

 自己の生存が危うくなっていると信じた諸国は、その生存を確保する為にあらゆる手段を使うことになんの制約を受けなくなる、ということは確かである。そしておそらく、いや確かに、やがてそれら諸国が自由に使えるようになる手段の中に、大規模な限界のない、そして多分一度発動されたら制御不可能となるような破壊のための機関と工程が含まれるだろう。


 人類がこのような立場に置かれたことは以前にはなかった。美徳をいくぶんか高めたり、より賢明な導きを受けたりするようなこともなしに、人類はそれによって彼等自身の絶滅を確実に達成できるような道具を、初めてその手にしたのである。これこそが人類の過去の栄光と苦労の全てが彼等を導き最後に到達させた人類の運命の特質なのである。人類は彼等の新しい責任について思い巡らし熟考するが良い。死が気をつけをして立っている。彼はまさに働こうとして従順に待ち受けている。まさに諸国民をそっくり消し去ってしまおうとして、そしてもし呼ばれれば文明の残したものを再建の望みなきまでに粉砕しようとして待ち受けている。死は、誘惑に弱く当惑しきった存在であり、長いことその犠牲者であったが今この時期だけその主人になっている人間からの命令を待っているのである。』




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